suu3.jp 戻る

summary

戦艦大和 最後の証言

戦艦大和 最後の証言の写真

・太平洋戦争中、戦艦大和が主力となった海戦は、レイテ沖海戦(昭和19年10月)と、沖縄特攻(昭和20年4月)のふたつのみ、太平洋戦争は昭和16年12月8日、大和の完成は16日(p6)

・第二次世界大戦の枢軸国は、ドイツ、日本、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランド、ブルガリア、タイ、スロバキア、アルバニア、クロアチア、ビルマ、である(p30)

・太平洋戦争は、軍事兵器を動かす燃料を確保するために、軍事兵器を使って戦争を始めた、世界戦史にまれな奇妙な出発点であった(p38)

・開戦に際しての大本営の決定は、1)東南アジアの南方資源確保、2)フィリピンのアメリカ軍を壊滅=海上輸送路の確保、であった(p38)

・昭和16年10月のマレー沖海戦にて、日本の航空機(96式陸攻、1式陸攻)による魚雷・爆弾攻撃により、イギリスの最新戦艦(プリンス・オブ・ウェールズとレパルス)は撃沈された、この意義(飛行機により戦艦撃沈可能)は大きかった(p41)

・太平洋戦争は領土の獲得が目的でなく、島にある飛行場を取り合った、これによる制空権と制海権を得ることがポイント、人類史上初めての戦争形態(p46)

・ミッドウェー海戦で負けた理由は、1)アメリカ軍は日本海軍の暗号解読されていた、2)兵力の分散、であった(p53)

・当時の軍事力は、戦艦を何隻持つかによって決まった、現在の「核」に相当する(p98)

・日本兵が「使い捨て」状態になったのは、昭和18年11月頃からのブーゲンビル島の戦いから、6万人の将兵のうち2万人が餓死や病気で死んだ(p118)

・太平洋における二大基地のひとつが、トラック島であり、もうひとつがパラオ、昭和19年2月において絶対国防圏である二大基地が陥落した、当時大和は輸送担当であった(p131)

・マリアナ海戦の航空戦で日本が負けた理由は、1)ミッドウェーで多くの優秀なパイロットがなくなり養成不可能、2)戦闘機の性能差(グラマンF6F)、3)レーダーと無線導入、である(p147)

・マリアナ海戦で徹底的に日本海軍の機動部隊は破壊され(空母艦載機の92%、水上機の72%)、残ったのは大和・武蔵を主力とする遊撃部隊のみ(p148)

・台湾沖航空戦(昭和19年10月)は日本の惨敗であったが、その時期から大本営は虚偽の報告をし始めた(p152)

・巨艦をはやく沈めるためには片側の攻撃を集中させる必要があるということを、武蔵の撃沈から連合軍は学んだ、武蔵は沈むまでに時間がかかり半数以上が生還した(p187)

・陸軍で大砲の化物といわれる28サンチ榴弾砲の最大射程の10キロに対して、大和の主砲の46センチ砲は40キロ以上飛ぶ(p193)

・連合艦隊司令部がだした作戦は、艦にのる将兵たちの死の上に立てられた作戦、人命尊重が優先されるアメリカでは絶対に出されない作戦(p199)

・歴史的に有名な栗田艦隊の反転であるが、それにより内地に帰還することで、1万人以上の兵士が日本に帰ることができたのは事実(p234)

・主砲を撃つときには他の火器活動は完全にとまる、爆風で吹き飛ばされるため、世界一の主砲と甲板に配置された対空火器を同時に使えない(p239)

・レイテ島の戦死率は95%、8万人に及ぶ(p241)

・空、陸、海上、海中における特攻隊で死んた将兵の総数が約6000人と言われているが、大和特攻に参加した10隻の軍艦による将兵の合計が6000人(p260)

・沈没寸前に、退去命令が出た、2時間以上にわたる死闘の後であった(p282)

・日本は日露戦争の勝利が、他の国や偶然に助けられて勝ったことを忘れていて、外国に対して傲慢になっていた(p295)