・ローマ時代の北アフリカ一帯は緑豊かな農業を中心とする一大産業地帯で、エジプトは小麦の主要産地(p26)
・ディオクレティアヌスが皇帝になってから2年と過ぎていない状態で、マクシミアヌスを皇帝に昇格させた、これは一人で決めたこと、これでローマ帝国を東方と西方で分担して統治するシステムができた(p33)
・ライン河に沿って並ぶ2000後の今でも重要な都市のほぼすべてが、ローマ時代に起源を持つ、インフラ工事が大規模で徹底していたから(p35)
・治安が悪くなると、生産に従事する人が少なくなる、旅路が不安になり、人とモノの交流に障害がおきて、経済活動の低下となる(p39)
・紀元293年5月1日に、ディオクレティアヌスはついに、四人による分担統治システムとなる「四頭政」を発表した(p46)
・共和政だろうが帝政であろうが政体に関係なく、自分たち以外の国や民族まで支配下におく覇権国家は帝国である(p53)
・ローマ伝統の重装歩兵から、騎兵(現代の空軍、p90)へ移行していた、その最大の要因は、蛮族の騎兵集団に機動性でも対抗するため(p81)
・属州民にとっては最高の栄誉とされていた元老院の議席は魅力がなくなった、軍団出身で皇帝の推挙により元老院で活躍後、その後に軍団長に戻ることができなくなった(p89)
・ローマ軍が騎兵を主戦力することで蛮族化、ローマ帝国がミリタリーとシビリアンのキャリア分離で蛮族化したのは事実、真の問題は、蛮族の方にローマ化する気がなくなったこと(p90)
・ローマの軍団兵は17~45歳までが現役、30代を中心にした壮健な兵士で優秀なものが、国境防衛線を守る軍団から引きぬかれた(p92)
・四頭政がもたらした結果の一つは、軍団を融通しあうシステムをなくして、各エリアで軍団増強を図った結果、兵士の数が10年程度で倍増してしまったこと(p92)
・大きな政府となってしまった原因が、軍と行政の肥大化:税金を納める人よりも、集める人が多くなった(p128)
・ローマ帝国には3種類の道路があった、幹線(8万キロ、国家が敷設、修復の責任あり)、支線(7万キロ、地方公共団体がメンテまで責任)、私道(15万キロ、個人で管理但し他者の通行自由)(p147)
・属州民という身分を消滅させて税制が大崩壊、属州税消滅による減収を、相続税と奴隷解放税の税率アップで賄おうとした(p151)
・直接税が主体の税制に変わった、査定による決定異議申し立ては皇帝に対してのみ(p153)
・400年以上続いてきたローマ軍の志願制は、事実上の徴兵制に変わっていった、殆すべての職業に世襲制が敷かれたため(p164)
・五賢帝時代のローマ帝国が平和と繁栄を享受できた理由の一つが後継者人事の成功であったが、それは5人のうちの4人までが男の実子がいなかった、5人目は最後のアウレリウスで成人した息子がいた(p201)