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最後の努力 下 ローマ人の物語 37 (新潮文庫)

最後の努力 下 ローマ人の物語 37 (新潮文庫)の写真

・新しい都市の存続は、仕事をできる人がどれだけ多く住みついたかにかかっていた。これが新都:コンスタンティノポリスに課せられた使命(p19)

・コンスタンティノポリスには、ギリシア、ローマ、シリア、エジプトの神々に捧げる神殿は許されなかった、一神教とは他の神々を認めないことに特質がある(p22)

・ローマ帝国では、兵士たちは1年ごとに交代させても、将校たちだけは最前線に立ち続けた、司令官クラスと兵士クラスの戦死率の差は驚異的、それが元老院主導の時代(p28)

・ガリエヌスの法により、軍団叩き上げから元老院するキャリアパスを奪った、これをさらに徹底させたのが、ディオクレティアヌスによる軍事キャリアと政務キャリアの完全分離政策であり、元老院は安全保障という最重要事から締め出された(p35)

・皇帝の考えは元老院で採血されることもなくの立法機関としても存在理由がなくなった(p35)

・国境線で早くも敵を撃退する安全保障システムの象徴であった「防衛線:リメス」は、滅びる100年前には放棄された(p40)

・コンスタンティヌスは通貨について、銀本位制を金本位制に変更した(p43)

・流通貨幣であるにもかかわらず貯めこまれて市場に出てこないのは、ローマ人が自国通貨を信用しなくなったということ(p46)

・ディオクレティアヌスが東方を、マクシミアヌスが西方をという形で帝国防衛を分担する「二頭制」が始まったのは、紀元285年から(p68)

・コンスタンティヌス皇帝による皇帝資産のキリスト教会への寄贈行為は、ミラノ勅令に違反しただけでなく、ローマ帝国皇帝の公人としての身の処し方としても違反していた(p86)

・コンスタンティヌス皇帝の寄附行為は「コンスタンティヌスの寄進状」として中世時代に欧州の王や諸侯を縛った証文であったが、1440年になって偽物であることが証明された(p88)

・キリスト教の聖職者は、国家の公職から軍務に至るまであらゆる公務につかない権利を認めた、これで聖職者階級の独立が公式に認められた、更に司教区内での司法権も認めた(p89、125)

・コンスタンティヌス皇帝は、エジプト産小麦をすべて、コンスタンティノポリスへ送ることに決定し、首都ローマへは行かなくなった(p97)

・ニカイア公会議できまった形のキリスト教が、今にいたるまでのキリスト教になった、つまり、神と、その子イエスと、精霊は同位であるが故に一体であるとする「三位一体説」(アタナシウス派)である(p106)

・キリスト教徒の兵士には、神に祈りを捧げるという理由で日曜を休日にすることを認めたが、異教徒の兵士たちには日曜も訓練を課した(p127)

・紀元330年5月11日に、新都コンスタンティノポリスの完成を祝う式典が挙行された、この年をもって首都機能の全てが完全に、ローマから移転した(p131)