・1992年には3.38万人だった小児科が、1996年には1.37万人と、一気に59%も減少した、医者全体に占める小児科の割合も16→6%(p25)
・1990年には2459箇所あった産科・婦人科のあった病院は、2007年には1539箇所となった(p29)
・2003年の研修医制度を変えて、研修医が研修先の病院を自由に選べるようになった、それにより教授が支配する医局制度が残る大学病院よりも、自由に臨床研修ができる一般病院が選ばれるようになった(p32)
・2006年の診療報酬改定で、患者7人に対して看護師1人という割合を確保できた病院は、一律に入院費を増やした、そのため当該病院数は6→23%となったが、看護師が大病院で大量に採用されて、地域格差が一気に拡大した(p36)
・医師免許を持っている研修医が起こした医療ミスの責任は、指導医でなく研修医にある、インターン時代は医師免許を持っていないので指導医にあった(p73)
・メタボリックシンドロームなど主要な病気の診療指針の作成にかかわった276人の医師のうち、87%にあたる240人が、それぞれの病気の治療薬を製造販売する製薬企業から寄付金を受領していた(p79)
・日本のメタボリックシンドローム診断基準には、医学的な根拠がない、診療基準によれば、国民の30%が高血圧、22%が高脂血症、12%が糖尿病とその予備軍、男性の29%、女性の26%が肥満(p93)
・この30年間に、高コレステロール血症を診断するための正常値が、250未満から220未満に下げられたので、日本にはコレステロールの高い人が、2300万人となった(p95)
・アメリカではコレステロールの正常値を、年齢別に決めている、昔は日本も、年齢+100と言われていた(p96)
・メチシリン耐性黄色ブドウ(MRSA)による院内感染で死亡する患者が減ったのは、以前の院内感染の主役であった緑膿菌を叩く「第三世代セフェム系」と呼ばれ部抗生物質の乱用を控えたから(p105)
・MRSAによる院内感染に対して効果のあるピオクタニンを利用しなかった理由として考えられるのは、1)色がつくこと、2)あまりにも安いため(p120)
・自宅より病院で最期を迎える方が増えたかというと、日本の医師は死亡した患者を24時間以内に診察しないと、死亡診断書を書くことができない(p131)
・延命治療中止を希望する場合には、その意思を明文化しておく必要あり、日本尊厳死協会に登録した人が12万人を超えた(p150)
・乳房温存治療法の割合が90%を超えているのは、94%の石川県ふたば乳腺クリニックと、91%の埼玉県立がんセンターのみ(p154)
・乳房温存治療法を受けたいのならば、放射線科の医師か、乳房温存治療法を実施している病院を探すべきで、外科に行くべきでない(p165)
・結核の抗生物質ができて、それまでのスターであった胸部外科は脱落、消化器外科が胃潰瘍の手術のためにスターになった、最近「H2ブロッカー」という薬が開発されたので、その座も危うい(p167)
・脚気は東大帝国大学教授の緒方氏が脚気菌を発見したという論文は、ドイツで活躍していた北里氏によって完全に否定されたが、緒方らは帰国した北里を冷遇した、これを救ったのが福沢諭吉で、慶応大学に医学部を新設して、北里を初代医学部長にした(p199)
・日露戦争では陸軍では21万人を超える脚気が発生し、2.78万人が死亡した、日露戦争の戦死者が4.8万人であることを考慮しても多い割合(p201)
2010/11/27作成