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江戸の卵は1個400円! モノの値段で知る江戸の暮らし (光文社新書)

江戸の卵は1個400円! モノの値段で知る江戸の暮らし (光文社新書)の写真

・文化文政年間(1800年ころ)の相場として、1両=6400文として換算、慶長14年(1609)の銀相場は、1両=50匁、文化文政頃は65匁、庶民が使う銭は、例えば銭3貫文(3000文)であった(p13)

・現在貨幣価値の換算として、1両=12.8万円、1文=20円、銀1匁=100文とする(p14)

・江戸の米価を、一升=90文とすれば、1800円程度、一升=1.5キロとすれば、現在のコメは10キロ=3000円と比較すると、一升=450円、現在のコメ余りと比較して江戸時代の米価は高かった(p21)

・奉公人は小僧として12歳くらいから始めて、8年程度で手代に昇進して給与が支払われる(年間3~5両=38~64万円)、昇給するが雇用契約は10年間で退職して再契約、認められれば番頭(20~30両:256~384万円)となる(p27)

・徳川幕府の石高は800万石といわれるが、実収入は280万石、ここから旗本、御家人、土木工事費を差し引くと、将軍家の手元に残るのは20万石=20万両=256億円、将軍の小遣いは12代将軍の家慶の場合、1万5000両=19.2億円(p29)

・大岡越前守は最終的には3920石の知行取りとなった、当時は四公六民なので、1568石が実収入であり、2億70万円、ただし召し抱える人(近習、中小姓、中間、小者、奥女中、下働き、馬の世話人等)も多かった(p31)

・武士の最下級の給料である「3両一人扶持」とは、年間給料は3両=38.4万円、一人扶持は1日=5合の玄米の現物支給であり、年間177升=21.8万円の合計で60.2万円となる、大工の給料の5分の1程度(p35)

・江戸の町と町の境に設けられた木戸は、明け6つ(午前6時)に開き、夜4つ(午後10時)には閉じられて、基本的には夜間通行禁止、夜4つを過ぎた場合は、「くぐり戸」を開けて通してもらっていた(p37)

・日本橋から吉原大門までの駕籠賃は、2朱(1.6万円)で、三人で交代する早駕籠は3朱、4人交代の快速駕籠は1分(3.2万円)であった(p61)

・飛脚は、江戸大阪間で、並便(10日)で30文(600円)、仕立て便は、正6日限で3両(38.4万円)、正3日限で銀700匁(140万円)であった(p65)

・銭湯は大人6文(120円)だが、男湯の二階で将棋や碁を楽しむには、16文(320円)の別料金が必要(p72)

・当時の子供たちの9割が寺子屋に通っていて識字率は70%以上、イギリスの20~25、フランス:14%と比較しても高い、この理由は、1)教育に対する親の理解、2)寺子屋教育の優れた点にあった(p80)

・寺子屋には決められた授業料はなく、各家庭の事情にあわせて「束修」と称する入門料を収めた(p81)

・二八そばといえば16文という時代はかなり続いた、慶応年間には20、さらには24文に値上がりした、天ぷら・卵とじは32文であった(p110)

・京阪神から出ていく物を「下り物」として上等なものとしてありがたがれた、品質の良くないものは「下らない物」として軽蔑された(p117)

・歌舞伎の桟敷席の値段は、食事つきで、銀35匁(7万円)であった(p134)

・相撲の木戸銭は、桟敷席で銀43匁(8.6万円)、土間席で銀3匁(6000円)であり、安くはなかった(p142)

・吉原は外界から隔絶された2.8万坪の色町で、高級遊女から最下級の切見女郎まで3000人の遊女が暮らす街であった、太夫・格子・散茶は18世紀中ごろまでで、それ以降は花魁(9.6~12.8万=1両)が相場(p159)

2011/5/8作成