・テニスの国際性は、旅費など経費がかさむうえに、言葉・食事・体力・気力など、何か月も洋食と英語で過ごす覚悟が必要、伊達公子が8年間でツアー生活を切り上げたのは限界だったから、15年間も続けている杉山愛はむしろ例外(p64)
・テニスはいまでこそ激しい運動量、強い精神力を求められるスポーツとして認知されているが、当初は、女性の体力や嗜好を十分に吸い込んだ競技で、女々しいスポーツを見なされいた(p71)
・ウィンブルドンでは、いまでも「白を基調としたウェア」を着用してプレーすることを義務付けられている(p76)
・テニスコートは社交の場であり、男女の出会いの機会であった、女性が汗を見せるということは忌み嫌われていた、汗は労働を意味し、そのことは階級性とも結びついていて、男性すら汗を見せないように努めていた(p78)
・公式大会で、白以外の色のウェアが認められたのは1972年のUSオープンからで、その背景にはカラーテレビ放送があった(p79)
・1967年にウィンブルドンはプロにその門戸を開くことになった(p137)
・1975年にヘッド社がより軽いアルミニウムを素材に持ち込んだが、スィートスポットが小さく使いこなすのが難しかった、そこでラケットヘッドを1.5倍にした「デカラケ」が軽素材を使ってプリンスからでた(p150)
・デカラケにより、パワフルショットがはじき出されたのみならず、ラケットの動きから球筋が読み取れなくなった、またパワー倍増の両手打ちが増えた(p150)
・陸上の世界選手権は、1983年にヘルシンキで第一回が開催され、カールルイス(4種目制覇)が飛び出した(p160)
・オリンピックには第三回大会まで金メダルはなかった、1位に銀メダル、2位に銅メダルが与えられた(p165)
・近代オリンピックがこだわった階級制は、テニスの場合、初期の国際性の段階で表向きは解消していた(p165)
・冷戦構造の崩壊により、東京ヨーロッパ間は1991年からすべて直行便になり、旅行時間は半減、それと並行して確約航空券の登場で若者の海外旅行は楽になった(p176)
・サーブアンドボレーは感覚的で、素質が大きくものをいうスタイル、それに対してパワーテニスは言葉は悪いが、量産できる(p177)
・90年代に入って、衛星放送の登場により、その時間枠の縛りが取り外れることになり、もはやサーブアンドボレーでなくてもレベルが高く面白ければ、テニスは延々と中継ができるようになった、逆に試合時間が長い方が歓迎されるようになった(p183)
・サーブアンドボレーは芝のサーフェスにあったプレースタイル、その戦術は最初のサーブで相手を押し込み、低く威力のある弾道でレシーバーを受け身にする、ところが最初の部分を逆転してボレーさせなければレシーバー有利となる(p186)
・フェデラーたちの世代は、リターンのいいパワフルな選手で溢れ、サーブを打ってネットに飛び出していく戦術はリスクが多く、もはやスタイルとして成立しない(p192)