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変見自在 サンデルよ、「正義」を教えよう

変見自在 サンデルよ、「正義」を教えようの写真

・百姓はこっそり田を広げて、藍や煙草等をつくって儲けて十分に金持ちだった、代官が検地をし直すというと、一揆を起こすと百姓が逆に脅したので、江戸時代には検地はほとんどなかった(p23)

・町人も江戸は原則無税、大店は多少の運上金で済んだ、他所の街では間口で税金が決められたので、間口に比べて奥行きの深いうなぎの寝床みたいな街並みができた(p23)

・米国にとって沖縄は「西太平洋の戦略要衝」である、日米戦争の沖縄攻略戦は、「本土の捨て石」ではなく、100年かけた米国の太平洋戦略の最後の仕上げ(p31)

・震災という略奪の好機を暴力団や一般市民が見逃すこと自体、米国人には信じられなかった(p34)

・調査の結果、フォード車の重心が高く、そのため最初からタイヤの空気圧を約3分の1も抜いていたことが判明したが、だれもブリジストン(事故車両はブリジストン傘下のファイアストン社のタイヤを装着)を擁護しなかった(p55)

・日航国際線独占体制には、重要な取り決めがあり、国内線は国際線運営のための涵養路線とする(国内線の収益を国際線に充てる)である(p61)

・米国のクジラ狩りは、石油から灯油がとれるようになって大きく減ったが、それでも極寒でも凍らない潤滑油として1960年までは捕鯨は続いた、それも合成油に代われてからなくなった(p67)

・ルーズベルトの予想外だったのは日本軍の強さであった、米太平洋艦隊が全滅、3か月もつはずの英領香港の九龍防衛線は1日で落ちた、英戦艦プリンス・オブ・ウェールズはあっさり沈められた(p71)

・日本軍がフィリピンに上陸すると、開戦のはじめに30万人の捕虜を抱え、彼らのために収容所をたててただ飯を食わせた、一方で日本軍兵士は、捕虜扱いされずに、降伏日本軍兵士の扱いをうけた(p73)

・米国が最も衝撃を受けたのは、ボーイング社製のB17がフィリピン上空でゼロ戦に撃墜されたこと、B29は紫電改や屠竜、地上砲火により400機近くがやられた(p76、81)

・米国の戦法はインディアン討伐が原型、まず滅ぼす相手の糧道を断つ、そのためバイソンを皆殺しにした、戦士が決起するとそれを避けて銃後の家族を殺した(p81)

・たたら吹きで鋼をつくる場合、1トンの玉鋼をつくるのに13トンの木炭が必要、それをつくるには130トンの木材が必要(p92)

・高峰譲吉がアドレナリンの抽出方法に成功したが、米国医学界は今でもそれを「エピネフリン」と呼ぶ、北里柴三郎の血清療法は部下がノーベル医学賞を横取り、高柳健次郎のテレビ受像機、八木秀次のレーダー波受信システムも同様(p96)

・ノモンハン惨敗は、実は日本の勝利であったことは、1993年にグラスノスチで史料が公開されるまで日本人は知らなかった(p126)

・911テロのとき、田中真紀子は大統領の居場所を記者会見で話してしまい、更迭された(p131)

・米国人が米大陸にきたとき、数千万頭の野牛と、2億3000万羽の旅行鳩、1000万人のインディアンが平和に暮らしていたが、それを200年で完全に壊した(p148)

・原爆投下の第一候補地は京都、人口86万人、盆地状、梅小路操車場上空500メートルで爆発させれば50万人は死ぬと予想し、その威力を正確に測るためにに通常爆弾による空襲を禁じた(p149)

・食品衛生法の施行により、アイスキャンディー屋は壊滅した、彼らは自分の家でアイスキャンディーを作っていて、食品を扱う現場とトイレの距離の規定を満足できなかった(p157)

・広島では空襲警報が解除されて市民が防空壕から出るのを待ってUターンして落としている、正確な破壊力を測るため(p183)

・初めはアフリカから黒人を運んで農園で働かせていたが、現地で働かせた方が合理的である(帝国主義植民地の発生)と考えた(p189)

・東北大の西澤教授は東京五輪のときに光ファイバの特許を申請したが、特許庁は意味が分からず、不受理とした(p195)

・占守島の戦いでは、日本側は700人が戦死、ソ連側は数千人の死傷者が出たため、北海道進攻は不能になったので、モスクワは日本政府に文句を言って占守島の将兵に銃を置かせた(p208)