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天皇はなぜ滅びないのか (新潮選書)

天皇はなぜ滅びないのか (新潮選書)の写真

・伊勢神宮の内宮(皇大神宮)は皇祖神である天照大御神、外宮(豊受大神宮)には五豊穣の神である豊受大神を祀っているが、江戸中期には内宮の優位が確立した(p21)

・最初のお蔭参りは、慶安3(1650)年に起こり、その後も、1705,1771、1830年のお蔭参りで、300~500万人に及ぶ人(全人口:2500万人)が伊勢を目指した(p24)

・古代に王朝交代があったかどうかは不明、25代武烈天皇から縁戚の継体天皇への皇位継承は王朝交代とされる説もある(p30)

・三種の神器とは、八咫(やた)の鏡(神鏡)、草薙剣(宝剣)、八坂にの曲玉(神璽)のことで、今も践祚(せんそ)・即位の際には欠くことのできない重要な存在(p32)

・室町幕府を滅ぼした織田信長は、天皇ブランドの利用価値に敏感であった(p48)

・武士は究極的には朝廷を守護するもので、それが錦の御旗に弓を引くのは、自己アイデンティティを否定するという意識が有力武家にあった(p54)

・征夷大将軍は東国を掌握したものでなければ任じられないというのが、それまでの先例を踏まえた朝廷の認識、征夷大将軍は東国征伐の総大将(p58)

・秀吉に従う諸大名は朝廷の官位官職が与えらえ、それはお飾りに過ぎないが、それによって武家たちは序列化された(p63)

・豊臣家を滅ぼした家康だが、その霊的権威を取り上げるには、天皇を動かすしかなかった、人を神にする、神を廃するのも天皇にしかできないことであった(p81)

・徳川家康が目指したのは、東国王権の復興であり、東国からの全国支配であった、東国を霊的にも朝廷の支配から目指した、平将門を祀った神田明神は江戸の守護神とされた(p84)

・生類憐みの令をだされた当時の江戸が捨て子が多く、それが野犬に食い殺されるという悲惨な事件が相次いでいた、この発令は、そのような荒れ果てた世相を戒めるもの(p159)

・現在の皇室典範は、皇位継承者は男子皇族に限るので、桃園天皇の次の後桜町天皇が最後の女帝となる(p171)

・諡号として天皇号が復活したのは、天保11(1840年)のことで、それまでは天皇没後に院号が贈られていた(p187)

・18世紀の欧米の世界認識では、世界には7つの帝国があるとされていた、ローマ帝国の後嗣にあたるロシア帝国(ビザンチン帝国経由)、神聖ローマ帝国(フランク王国経由)、オスマントルコ帝国、清帝国、ムガール朝インド帝国、ペルシア帝国、日本帝国(p190)

・田沼意次は銀の暴落が続いていて金銀交換比率が変わりつつありそれを変更する意図があったが、彼の失脚でできなかった、そのため開国により大量の金が流出した(p196)

・徳川家茂の上洛(1863)は、三大家光以来、実に230年ぶり(p202)

・将軍不在の江戸では、朝廷から離脱して独自政権をたてようとする動きが旗本で起きた、日本全国から徴税しているわけでもなく、黒船来航以降は幕府財政は急速に苦しくなった(p205)

・王政復古は、徳川だけでなく、上級公家中心の朝廷に対する反乱(p215)

・旧幕府軍の陸上部隊は武装解除されたが、海軍力は旧幕府勢力が圧倒的(p220)