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summary

アホ大学のバカ学生 グローバル人材と就活迷子のあいだ (光文社新書)

アホ大学のバカ学生 グローバル人材と就活迷子のあいだ (光文社新書)の写真

・学部名の種類数は1985年には、わずか82だったのものが2010年には481にまで増えている(p42)

・法政大の情報科学部の前身は工学部だが、明治大の情報コミュニケーション学部は、前身が短大の法律科・経済科であり文系学部である(p43)

・本書でいうところの「バカ学生」の特徴は、1)非効率的であっても、ちょっと面白そうと思えば行動に移せる、2)留学生が多い、3)社会との接点が多い(p91)

・有料セミナーは催眠商法そのものがあり、バカを見るのは、このカラクリを知らないマジメ学生である(p107)

・会社説明会はキャンセル率がかなり高いので、企業の人事に電話をかけて「満席で予約できなかったが参加させてほしい」と電話すれば良い(p119)

・大学の先生は答えのない研究に挑んでいるから、当然学生を一人前にするために厳しく叱ることもあるが、打たれ弱い学生はさらにへこむ(p131)

・就活関連では、1879年(明治12)から三菱が定期採用を開始した、当時は大学卒業者の就職は官僚としての採用がほとんど(p156)

・日立製作所の設立は1910(明治43)で、久原鉱業所日立鉱山工作課という大企業の社内ベンチャーであった(p157)

・今では大企業がずらりと並ぶ保険業界も当時(1923大正時代)はブラック企業扱い(p160)

・昔の帝大と高等専門学校では教育専門学校では教育期間が違うので、明治末期には東大等の帝大を100とすると、一橋は60-70、慶応:50-60、早稲田:30-40の給料格差があった(p167)

・大正12年頃には、三菱の諸会社は、帝大・一橋・早慶の各校は初任給75円、私立と地方高商は65円と定めた、これが大学間格差撤廃の端緒(p169)

・筆記試験は1970年代までは重視されたが、その後、適性検査の台頭もあって姿を消していった(p190)

・今時の学生は、と言われていたのは、100年前の明治・大正期もそうであり、100年後であっても大きくは変わらないだろう(p193)

・1990年から現在まで、大学が53%増の780校にまで増加しているのに対して、短大は35%、高校も13%減少している(p201)

・定員割れ大学は、1)ターゲット設定、卒業後の目標、2)教職員の熱意、3)学外への宣伝、が不足している(p226)

・プリンストン大学では、ノーベル賞級の教授陣が1年生を教えてる、教員対学生の比率はハーバードの1:8に対して、1:6、早稲田大学は1:38(p236)

・キャンパスに学生寮が殆どないのは日本のみ、学生運動の余波で寮をつぶしてしまったことが原因(p239)

・日本の大学は1980年代に経済界から専門分野をしっかりやっていない、という批判により、専門科目と教養科目の区分を1991年に無くしてしまい、事実上に教養課程を残したのは東大くらい(p243)