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グローバリゼーションの中の江戸 〈知の航海〉シリーズ (岩波ジュニア新書 717〈知の航海〉シリーズ)

グローバリゼーションの中の江戸 〈知の航海〉シリーズ (岩波ジュニア新書 717〈知の航海〉シリーズ)の写真

・この本はすでに15世紀末から地球規模で起こっていたグローバリゼーションの中で、日本人がどのように「自分の体に合った服」をつくり、その激しい流れに呑み込まれずに、独自に生活していたかということを書いた本である(はじめに、P5)

・インドのように紀元前から蓄積してきた木綿業を奪われた国もある、支配国イギリスがインドの綿花を安く買い、インド国内で機械により木綿の大量生産を行い、低価格でインドに売りつけた(はじめに、P8)

・江戸時代の日本は、グローバリゼーションの中で、そこに自らを合わせることなく、導入するものとしないものを分別しながら自らの道を行った(はじめに、P16)

・江戸時代になってポルトガル船、スペイン船への渡航禁止令を出しても、日本はあまり困らなかった、オランダ東インド会社が、ポルトガル船の代わりをしてくれたから(P7)

・オランダ東インド会社は、アジアに約20か所の拠点があった、全従業員は1753年時点で、約25,000人、最大はバタヴィア(ジャカルタ)で5000人、長崎は最も小さく11人の社員のみ(P14)

・1636年の記録では、オランダ東インド会社が日本に売った60%は中国生糸、21%は中国綿織物、1705年には、インド木綿(21%)やベンガル、ペルシャ等の生糸もあった、日本が絹織物の技術をもったから(P15)

・明治維新と戦後に起こったのは、都市設計・建築物・エネルギー政策・衣類・食べ物に至るまで欧米化することであった、欧米社会の生活を「豊かさ」だと思いこんで、幸せがあるはず、と考えて目標にしたから(P23)

・江戸時代には様々な食べ物が外国から入ってきた、ジャガイモは南米原産でジャカルタから、天ぷらはポルトガル、でも米と大豆と海産物の組み合わせは不動、シンデレラはアメリカのカボチャを馬車にしたもの(P57)

・江戸時代の人々は蝋燭を採用したが部分的で、油を使う行灯が圧倒的(P60)

・竹を使って多くの生活必需品、道具類を使った、40年ほど前まではタケノコの皮は肉屋でよく使われていた(P60)

・小田野直武は、浮世絵師ではなく、藩の絵師として様々な植物画や、それを取りいれた花鳥画、風景画を描いている(P85)

・江戸時代には31日という日付は無かった、30日の3を「み」10を「そ」日を「か」と呼んで、月末を「みそか」と呼んだ(P91)

・高尚な本は京都を中心に(ものの本屋)、大衆的なマンガ本やゲームのようなものは、江戸(絵草紙屋)で出されていた(P105)

・コロンブス一行は、アメリカのイスパニョラ島に上陸した時にそこを「ジャパン」だと思い、キューバを「中国」、大陸を「インド」と思ったと航海記に記している、コロンブスが旅立った1492年にグラナダ王国が陥落し、700年に及ぶイスラムとキリスト教徒の戦いは終わり、欧州は完全にキリスト教域になった、これがグローバリゼーションの始まり(P121)

・1510年にポルトガルがゴアを占領して、アフリカ人が南アメリカに奴隷として運ばれた、アジアの奴隷貿易が終わろうとしていたころに、欧州人によるアフリカ人の奴隷貿易が始まった(P122)

・ポルトガル人によって、イスラム教徒によって担われていたアジア貿易は変化した、ゴア・マラッカ・ホルムズの三大商業拠点は、ムスリムと闘って得たもの(P122)

・朝貢貿易から締め出された欧州人は、海賊たちと一緒に行動しない限り仕事がなかった、鉄砲は中国人とポルトガル人倭寇が扱う貿易商品であったので、種子島には漂流したのではなく商売として来ただろう(P127)

・歩兵に対する鉄砲配給率は、朝鮮侵略では14-26%であったが、関ヶ原では40%超であった、原料の鉄はインドや中国福建省、タイから輸入していた、秀吉の刀狩も鉄の供給のためという説もあり(P129)

・中国の冊封国は、朝鮮王国、琉球王国、ヴェトナム、マラッカ、インドネシア等、広範囲に広がっていた、冊封国になるためには「国王」を名乗り、中国皇帝の臣下になること、日本も1402年に足利義満が日本国王になり1408年の死去により離脱した(P132)