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summary

大江戸鳥瞰図

大江戸鳥瞰図の写真

・幕末には、それまでの中心だった江戸に、貿易港である横浜が加わって江戸の地位が揺らぎ始めた。そして1860年に、生糸・雑穀・水油・蝋・呉服の5品目は江戸の問屋を経由する法令をだした(p6)

・当初、東海道沿いでアクセスのよい神奈川宿に外国人居留地を設けるように要請があったが、水深の深い横浜が選ばれた(p7)

・明治政府が東京を首都に選んだのは、江戸城を囲むように上屋敷、中屋敷が点在していて、インフラ整備に最適であった、大阪も首都候補であったが私有地が多かった(p9)

・鬼門の抑えの寛永寺に対して、裏鬼門の増上寺、これは徳川家菩提寺として江戸鎮守するとともに、五街道の中でも重要な東海道の前にそびえたった。かつて、増上寺から品川は海岸であった(p12)

・深川木場は、江戸時代の貯木場であった、火事が多かった江戸では、火事のたびに建物を再建する必要があった(p22)

・江戸(千代田区、中央区、港区)は身分によって住む地域が区分されていた、7割の武家地は、300藩の上屋敷、中屋敷(予備)、下屋敷(郊外にある別邸)、旗本は江戸城西部、東には町人が集められ、日本橋が代表(p26)