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47都道府県の名門高校 藩校・一中・受験校の系譜と人脈 (平凡社新書 412)

47都道府県の名門高校 藩校・一中・受験校の系譜と人脈 (平凡社新書 412)の写真

・明治19年に文部省が「一県一中学校令(尋常中学)」をだしたが、24年に弾力化されて尋常中学が一中、ほかが二中になったところもある、兵庫県は姫路中学、神戸中学となったが、神戸でのちに第二中学として兵庫高校が設立されたときに、神戸第一中学となった(p11)

・江戸時代の日本の教育水準は高かったといわれるが、残念ながら根拠のないウソ。日本の支配層は世襲、さらにその下の専門職も世襲、官吏を試験で採用することもなかった(p16)

・そこそこ学のあった江戸将軍は、五代綱吉(教育ママのおかげ)、六代家宣(新井白石を家庭教師)、最後の将軍の慶喜くらい、共通項は嫡男でないので将軍にも大名にもなれそうにもなく勉強以外になかったから(p18)

・江戸時代の日本が立派な先進国だと誤解されるのは、幕末近くになってやっと実現した状況が早期から出来上がっていたと混同することにある(p24)

・江戸時代の殿様で地元出身は10家20藩で、ほとんどが外来者、転封のたびにほぼ全員が引っ越してきたので、結婚などを通じての地元の交流もわずか(p27)

・会津藩の藩士の多くは、桜で有名な信州の高遠から移ってきた、武田信玄につかえた信濃武士が主力で、いわゆる会津魂は、信州人気質以外のなにものでもない(p28)

・学制(明治5年)によると、全国を8大学区にわけて各大学区に大学校を1校、32中学区、210の小学区にわけて、全国に8、256、5.376万の大中小学校をおくとした。小学教育を優先し、3年程度で2.6万程度の小学校が設置(p32)

・明治10年に、東京開成学校と、東京医学校が合併して東京大学となった、明治19年には帝国大学、明治30年には京都帝国大学の開校にともない、東京帝国大学となった(p33)

・大阪、名古屋に先立ち、京城(大正13)台北(昭和3)に帝国大学が設置、旧体制が続いていれば、次に昇格したのは、金沢と岡山だろう(p34)

・高等中学は全国を5つにわけ、それぞれに1校ずつ設けられた、一高の次は三高だが、これは第三学区の高等中学校という意味であり設立順序でない、四高は金沢、五高は熊本(p34)

・県庁所在地にない一中として、弘前高校、安積高校(福島県)、松本深志高校(長野)、彦根東高校、郡山高校(奈良)、姫路西高校(兵庫)がある、県庁になれなかった城下町を文教都市として維持するという意図がある(p38)

・東京府立第一高女であった白鷗高校は、下町浅草にあり、第二高女(竹早)、第三高女(駒場)と比べて進学は高くならなかった(p45)

・GHQの要求が、フランスドイツなど、ヨーロッパ大陸の制度を輸入して形成された戦前の制度をアメリカ流に変更するものであり、民主化には関係がなかったのも事実(p51)

・埼玉県私立は都内の学校に通う生徒が多い中、狭山市の西武学園文理高校は県内ではトップ(p109)