・信長は浅井長政の裏切りを受けたときに、光秀と家康に諭されてやっと、敗走を決意した。いざ同じ立場に立たされると、光秀も、逃げる家臣に抗おうとする(p41)
・信忠は天皇から、秋田城介の官位を賜った、朝廷が秋田に築いた城の長で、征夷大将軍の前に就くべきとされる官位であった。信長は、従三位大納言および右近衛大将の位についていて、源頼朝も、その2年後に征夷大将軍となっていた(p43)
・天王寺城を攻撃された光秀に対して、信長は300騎程度で自ら駆けつけてきた(p62)
・勝家が加賀の平定、信盛が本願寺攻め、光秀が丹波の攻略、長秀が安土城の普請奉行と、それぞれ大役を任されているなかで、秀吉一人が、与力のような扱いであった(p83)
・荒木村重が寝返った当時、西の播磨には毛利、北の丹波には赤井・荻野、東は本願寺、南の海には毛利の村上水軍と、囲まれていた(p123)
・別所、荒木の寝返り、徳川家にも調落がおよび、秀吉の播磨の陣は滞ったまま、信雄は伊賀で負け戦の中で、光秀の丹波丹後の平定は見事であった(p168)
・足利義満は、鹿苑寺に皇子を移した上で太政大臣となり、自らを上皇と身分であると朝廷に認めさせた。もし皇子がなくなっていれば、義満は息子に皇位を継がせたはず。それと同じように信長も信忠を天皇にさせようとしたかもしれない(p214)
・信長は武田征伐に、公家近衛前久を参陣させた。天皇家の末裔でもある清和源氏の武田を滅ぼすには、天皇の許しが必要であった(p262)