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summary

戦争に隠された「震度7」 1944東南海地震・1945三河地震

戦争に隠された「震度7」 1944東南海地震・1945三河地震の写真

・東南海地震は海溝型地震であった、死者行方不明者は1223人、その37日後の三河地震は、2306人の死者を出した(p6)

・南海トラフでは、地震が繰り返し発生している。この地震よりも90年前の1854年江戸時代の嘉永7年に安政東海地震・安政南海地震が発生している(p8)

・三河地震に関する地震活動には2つの特徴がある、1)顕著な前震活動、2)余震の多さである(p19)

・世界中にある地震観測所では、英国・スイス・ドイツ・インド・アメリカの科学者によっても報告された(p43)

・津波は何回にもわけて来る、第一波が来た後に、凄い勢いで引いていく。その後に高い第二波が来る。引いていく波と押し寄せてくる波がぶつかって物凄い波柱が立つ。第二波が引いた後の第三波が最大であった(p79)

・引き潮もひどく、湾の水がなくなるまで引いて行って、今まで見たことがない湾の底が見えた(p109)

・当時の漁師は儲かった、1か月の給料は一晩で稼げた。月給取りや農協、役場になるのは漁師に向かないからだろうと思われた(p119)

・商店街の人たちは入れ替わりが激しく、付き合いは限定的。商店会で炊き出しをしたり、家の建て直しに協力することは無かった。(p137)