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summary

なぜノーベル賞を受賞したのか 青色LED開発の軌跡

なぜノーベル賞を受賞したのか 青色LED開発の軌跡の写真

・日亜化学の社名は世界企業の仲間入りを果たし、日本の技術系中小企業の底力を示す3つの例:1)青色LED、明るさ100倍、世界最高、1993年1月から量産、2)青紫色LDの開発成功(1995.12)、3)1996年9月の白色LEDの発表(p9)

・筆者は光の三原色のLEDの事業化に全てかかわった、1978年の赤色(スタンレー)、1993年の日亜化学による青色、1995年の緑色(p11)

・GE社は、赤色LED(ガリウム、ヒ素、リン)を少量ながらこれを商品化したが、通常の電球の150分の1程度の明るさしかなかったので販売は中止(p22)

・西澤三原則は玄関入口に貼られていた、1)未だやられていない事でなければならない、2)他処より早く発表しなくてはならない、3)他人がやり直しをせねばならないようではならない(p35)

・車の電球分野に対してLEDが進出したのは、1987年が元年であった(p59)

・新規事業の成功は、技術・企業化・企業化の3つのベクトルが同一方向を向いている必要がある(p61)

・物理学者は理論的に計算して、エネルギーの高い青色で明るい光を実現するのに可能性のある材料をすでに提示していた。炭化シリコン、窒化ガリウム、セレン化亜鉛、硫化亜鉛等、しかし実際に出すことができなかった(p67)

・日亜化学が、ダイストという中間製品での商いをやめて、アッセンブリー技術をマスターする戦略を取ったのは極めて重大な戦略であった、原材料供給メーカから、製品供給メーカへの変身であった(p128)

・東芝のブラウン管や蛍光灯には、日亜の蛍光体を使ってもらっていた。顧客から事業部を通じてLED青色ダイスを出してほしいと圧力をかけてきた(p144)

・道路と鉄道の信号機の「青」は、別の色である。道路用の交通信号灯は、青側に寄っている緑色、鉄道は緑側に寄っている青色である。交通用の国際規格(ITE)が存在する(p149)

・1994.10には、三色すべてがLED化された信号灯器の試験運用が、愛知県から始まった。赤と黄はHP社、青緑は日亜のLED素子であった、従来の電球方式では前面にカラーフィルターがあるため西日があたると疑似点灯が起きて何色がついているか判別しない(p151)

・ツーフローMOCVDの特許は、革命的製造方法であった。基板上に付着しにくい物質を、上から押さえつけるようにしながら成膜するもの。これが中村氏の追究心の賜物。この原理を出発点に、改良を重ねて量産装置を実現していった(p176)」

・中村氏は、常日頃、「アイデアは一人、よい成果を上げるには多くの人の協力が必要」4と話していた。まわりへの気配りが多すぎて中村氏のすばらしい持ち味が失われるのでは、と思った。けして「オレがオレが」という嫌味な性格の人ではなく、むしろ正反対の人で、特に後輩によく気を遣う好人物であった(p204)

・中村氏のいる研究現場と実際の生産現場では、技術や装置はかなり異なっていて、漏れて困るノウハウは、生産現場のほうに確保されていた(p231)

・1996.9、白色LEDの開発と商品化を発表した。商品化された白色LEDは、蛍光体と半導体の技術の融合商品と言えるもの、材料としては、青色LEDのチップ上にYAG(イットリウム・アルミニウム・ガーネット)系蛍光体の層を設けたもの(p250)

・小山氏の退任後に、日亜化学は他社とのクロスライセンスや訴訟和解(豊田合成、クリー社等)を行った(p263)