・五徳は、信忠にとって二つ年下の、本当によく気の合う弟であった。同じ母から生まれていた(p39)
・大納言兼任で、右近衛大将の官職を得た信長は、部門の誉れと言われる「秋田城介」の職を信忠が得たことに喜び、「城之介」と呼ぶようになった(p53)
・信長を脅かしていた武田家を最終的に滅ぼしたのは、ほかならぬ信忠であった(p58)
・武田の旧領は、甲斐・信濃・駿河・上野の4か国であった、甲斐は河尻秀隆、上野を滝川一益、信濃は幾人かの家臣、駿河は徳川に与えられた(p66)
・松永久秀は、管領細川晴元の家老、三好長慶の家臣だったにもかかわらず、13代将軍足利義輝を攻め殺して、畿内の支配者に成り上がった(p111)
・信貴山に立て籠もった松永久秀を、信忠は父から4万の大軍を預かり、総大将として敵に当たった(p112)
・信長は、太政大臣、関白、征夷大将軍のいずれも明快な回答をせず、4年前に正二位の位階はそのまま、右大臣の官職を辞していた(p178)
・高松城の救援に対して、明智光秀に、細川・中川・高山らの寄騎を伴って先発することを命じた(p203)
・朝廷は、いつでも京に入ってくる勝者に官位を与えるだけ(p242)
・信長の宗教に対する考え方は、どんな仏もデウスも自由に信じさせようとしているが、他人が信じていているものをあげつらったり、政に口を出したりすることは許さない(p250)
・暦の策定は、朝廷の専権事項であったが、信長はこの年、天正10年の12月の後に閏月をいれることを申し入れた(p253)
・信忠の旗本には、22年前に、桶狭間で今川義元の首級を上げた、毛利新左衛門もいた(p269)