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summary

天才

天才の写真

・金も含めて、この世をすべて仕切っているものは、大なり小なり、お上・役人達がつくっている縦の仕組みである(p13)

・ドルショックと、アメリカの日本を無視した頭越しの中国への急接近は、日本(外務省)にとって大屈辱であった(p70)

・総裁選において、田中:156、福田:150、大平:101、三木:69、決選投票において大平と三木陣営の大部分が田中に投票した(p81)

・あくまでも民間の資金、エネルギーを中心にして行うべき、政府はそれに利子補給をして財政規模を縮小する方がよい。何でもやろうとすると、役人が増えて役人天国になってしまう(p89)

・岸、佐藤、福田は、親台湾の立場であった。アメリカの突然の日本の頭越しの中国接近に憤慨していた。田中、大平は中国との国交正常化を行った(p91)

・中国がアメリカと急接近したのは、ウスリー川(黒竜江の支流)の中にある珍宝島を中国が占領したのに対して、ソビエト軍が反撃、これは12個の宇宙衛星により監視されていた。その映像を中国はアメリカに見せられて、アメリカに頼ることを決意した(p93)

・迷惑という言葉は、中国では小さなことにしか使わない、これは中国人の反感を呼ぶ(p98)

・資源外交として、アメリカ以外の供給源たり得る国を歴訪した、カナダ・インドネシア・オーストラリア・ニュージーランド・ビルマ(p123)

・田中氏への起訴内容は、ロッキード社の航空機トライスラー購入に関する受託収賄と、外為法違反(p142)

・免責証言とは、その証言に関する事実に関しては証言した者の責任は一切問わないとした上での証言である、これを榎本の元妻が行った(p147)

・日本にはあり得ない刑事訴訟の手続きを、日本に持ち込み、その証言に対する当事者の反対尋問まで封じる(アメリカ刑法では準拠)という前代未聞の裁判であった。一審判決まで6年半、二審判決まで4年、上告後もあいまいな裁判が進行して生殺しの年月が続いた(p149、207)

・俺(田中角栄)が調達した膨大な選挙費用の中では、5億円は「端下金」ともいえるもの、集めた金額は300億ほどであった(p160)

・竹下氏の立ち上げた創政会は40人が参集、副会長の一人には橋本龍太郎、事務局長には梶山静六が就任した(p178)

・トライスラーよりもはるかに大きな事件の山であった、対潜哨戒機P3Cを無視して、ロッキード裁判は行われた(p203)

・南北に長い日本の国土を緻密で機能的なものに仕立てた高速道路の整備、新幹線の延長整備、各県1つずつの空港整備の促進、独自のエネルギー外交を行ったのも田中角栄である(p204)

・役人天国を支えている単式簿記という会計制度を、一般企業なみに発生主義複式簿記に直すべき(東京都はそうした)そして税金の無駄遣いをなくすべき(p209)

・28歳(1946)進歩党公認で出馬するが落選、1955年自由民主党の結党に参加、2年後郵政大臣、1976年ロッキード事件発覚・逮捕(p221)