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summary

教養としての「ローマ史」の読み方

教養としての「ローマ史」の読み方の写真

・前8世紀頃、エトルリア人が続けてローマの王位についたことから、当時のローマがエトルリアの持つ先進文化に圧迫されていたと読み取れる(p25)

・ローマ人が独裁(王という単独の支配者)を嫌って、市民を主権者とする政体である「共和政」を選んだ、それはローマ人が「自分たちは自由人である」という強い意識を持っていたから(p28)

・ローマ軍はエトルリア人にならって、ファランクスと呼ばれる密集隊形を組んで集団で戦った、このため人々には助け合いの意識、連帯感、団結心が生まれた(p30)

・共和政という1つの政体の中に、二人の執政官・元老院(貴族政)・民会(民主政)という3つの要素が配置されて、それらが微妙なバランスを持っていた(p47)

・ローマが何度も手痛い敗北をしていながら、常に最後には勝利を手にしているのは、彼らが失敗から学ぶことの大切さを知るとともに、他人の再起を信じることができる人々であったから(p65)

・ローマ軍では、個人の武功よりも軍規が優先されていた、隊長の息子であっても軍規違反として処刑される(p98)

・ポンペイウスは、自分についてこない者は敵と見なす、と脅したのに対して、カエサルは、誰にもくみしないものは味方とみなす、と言った。(p124)

・マリウスは、それまで入隊資格を持たなかった無産市民の入隊を認めることで、徴兵制だった軍を志願制に変えた(p129)

・カエサルの言った言葉、「ブルータス、お前もか」の意味は、何度も許してきたのになぜ、という残念な思いの発露である(p136)

・共和政を守る姿勢を見せ続ける、オクタウィアヌスを元老院は高く評価し、前27年に「尊厳なる者」を意味する「アウグストゥス」という尊称を贈り、国政を元老院とアウグストゥスで分担して行うことを決定した、これにより事実上の皇帝となった(p142)

・ネロが命じたのは、キリスト教徒の迫害ではなく、騒乱者クレストス一派の掃討と思われる(p184)

・コンモドゥスは、皇帝になると、いともあっさりと敵に代償金を払い、北方戦線から撤退する、父マルクスが生涯をかけて守り抜こうとした属州は放棄された(p244)

・アウグストゥスが初代皇帝になってから、異民族である、セプティミウスが皇帝になるまでが220年、これはワシントンから、アフリカにルーツを持つ、オバマ氏が大統領になるまでと同じ(p251)

・セプティミウスは、それまでイタリア人に限られていた親衛隊の入隊資格を属州出身者に開放した、こうして空前の民主化・均等化が生じた、これにより、ローマ人の帝国から、ローマ帝国になった、これにより権威ではなく、軍事力(権力)が皇帝権力の基盤となった(p252)

・これを引き継いだ、カラカラ帝は「アントニヌス勅法」により、帝国内のすべての自由人にローマ市民権を与えた、彼の目的は税収アップもある(p258)

・アウレリウスの最大の功績は、パルミラ王国とガリア帝国を打ち破って、失っていた領土を回復したこと(p288)

・ローマ史に登場する77人の皇帝の中で、自ら退位したのは一人=ディオクレティアヌスのみ(p307)

・コンスタンティヌスは、ソリドゥスという金貨を作ってそこに含まれる金の含有量を厳守させた、1枚当たり=4.8グラム、純度は95.8%、銀貨は1枚当たり2.24グラムとして、金銀レートを、1:24とした(p314)

・アメリカ通貨ドルの貨幣記号が「D」ではなく、$なのは、ソリドゥスの長期に渡る安定した通用力に倣い、第二のソリドゥスになることを願ったから(p314)

・ディオクレティアヌスは、東西の分割統治をおこなうにあたり、西ローマの首都はローマからミラノ、東ローマは、ニコメディアに移した=皇帝が住んだ(p314)

・イエスが十字架にかけられたのは、第二代皇帝ティベリウスのとき、イエスから直接教えを受けたペテロ(12使徒)を中心に仲間を増やし、パウロがそこに加わった(p319)

・フン族が西に大移動したのは、4世紀後半におきた地球規模の寒冷化が原因である(p333)

・テオドシウスは子供たちに後事を託すにあたり、帝国を二分割した、東ローマは長男・アルカディウス、西ローマは次男ホノリウス(p343)

・東ローマ帝国が西が滅びた後、1000年近くも命脈を保てたのは、都市が衰退しなかったこと(p345)

・ロムルスを退位させたオドアケルは、皇帝の地位には就かず、帝位を東ローマ帝国に返却した(p348)

・ローマ帝国が誕生する前には、オリエント・ギリシア・ラテン世界があった、ラテン世界をローマが統合した、このローマ帝国は、やがて、イスラム・ギリシア正教・カトリックの3つの世界に分かれた、オリエントだったところはイスラム教(アラム語、シリア語=アラビア語、セム語系)、ギリシア世界はギリシア正教(ギリシア語)、ラテンはカトリック(ラテン語+ゲルマン語)となった。この背景になるのは、言語的な違いであろう(p353)

・蒸気機関は長い間、忘れられていた、高い技術が効率化のために用いられなかった理由として、そのようなこと(面倒くさい、大変なこと)は、すべて奴隷にやらせていたから。(p362)

・コンスタンティヌスは、帝国領内に移住していた異民族出身者を軍人として公然と登用した最初の皇帝である、それは軍制改革・強力な機動軍の創設という、美名のもと密やかに行われた。これが辺境の兵力削減を招き、国境線を曖昧にし、異民族の侵入を容易にした、彼がターニングポイントである(p369)