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summary

明石海峡大橋物語

明石海峡大橋物語の写真

・ケーブルに麻縄が使われた、高価であったが寿命も短く予告無しに切れることもあった、これを鋼索が解決した。麻製の鋼を芯にして複数の鋼線を撚った子綱を数本すり合わせる、用途に応じて子綱の太さ、撚り方、子綱の数を変える(p83)

・ローブリングは、鋼索を縒線から平行線ケーブル(PWS)に変更した、施工法は鋼線を1本ずつ張るAS工法を発明することで、長大吊り橋時代が幕を開けた、ニューヨークのブルックリン橋から始まる(p87)

・昭和15年に、大小鳴門橋架橋構想が発表された、それによると、鳴門海峡に橋を架け、明石海峡は連絡船、淡路島を中に四国本州を結ぶ、本四架橋構想の発端であったが、幻に終わった(p91)

・昭和28年に神戸市が明石架橋の準備をはじめ、32年に予算を計上、神戸市議会は面食らった、以来、明石大橋は「夢の懸け橋」と呼ばれる(p92)

・昭和60年、大鳴門橋完成と前後して、明石大橋の事業化が決まった、48年に本四公団第一建設局が垂水に工事事務所を設置して、足掛け13年目であった、昭和61年起工式、63年現地工事着工、平成元年、潜函工事開始(p194)

・平成3年7月には、明石海峡大橋のケーブル架設工事が、新日鉄の一括受注と決まった(p195)

2020年1月19月日作成