・鉄砲が戦場で実用化される以前、主流の武器は弓矢であった。敵と近距離で対峙せずに遠くから矢をいることで恐怖心なしに人を殺すことができる。しかしその代わり習得するのはとても難しい。だから武士の子弟は皆、幼い頃から弓矢の鍛錬をする。それに対して、刀の場合は恐怖心がありなかな人を殺せない。鉄砲は遠距離で使えて恐怖心もなし、習得するのも難しくない(p30)
・義明一派は皆、細川藤孝の家来になる。松井、米田、飯河、沼田など。義昭の元から袂を分ち、織田の家臣となった細川家がまとめて面倒を見ている(p42)
・歴史なんていうのは、やっぱり現在の私たちの生活に置き換えてみるのが一番わかりやすい、人間の根本はそんなに変わらない(p50)
・義昭側から信長側に移るに際して、長岡を名乗っている。藤孝の葛藤があるのかもしれない、細川の姓を名乗るのは関ヶ原の後である(p52)
・当時の武士たちは常に、自分の行動に正当性を与えてくれる人物の存在を意識している(p64)光秀はほんのうじのへんに対して自分の行動の正当化をしていないので、光秀に味方する武将がほとんどいなかった。光秀の私利私欲と思われたのだろう、黒幕もいなかった(p66)
・日本史を何のために勉強しているか、人間はどう生きるのか、社会とは何か、といったことを解き明かすためである。歴史上起きたことは、どういう意味を持ち、どういう関係があったのか、さまざまなことを明らかにしていった上で、その結果として「生の権力が安定するためには何が必要か」が問われ、答えを導き出していくことになる(p70)
・権門体制論とは、日本の中世には天皇がおりそればいわば王であり、公家と武士、そして寺が王権を支えているというもの。公家は政治、武家は軍事、寺は宗教・信仰で支えているというもの(p71)
・申次とは、そもそも鎌倉時代から存在した役職で、西の天皇と東の幕府をつなぐ役割を果たしていた。当時は関東申次と呼ばれ、西園寺氏が独占していた。鎌倉幕府の意思は、必ず西園寺氏を通じて朝廷に届けられた。鎌倉幕府の意思を繋げるのは西園寺氏のみとなるので、朝廷のなかで一番権力を持つようになった。この申次は、室町幕府、織田政権、豊臣政権にも非常に重要な役割を果たしていた(p76)
・是非に及ばず、の解釈は従来の「光秀のような有能な武将が攻めてきたらまずにげられないので観念して死のう」ではなく、「光秀を今の地位に引き上げたのは他でもな自分なのだから、そんな光秀にやられるのなら仕方ない」だろう(p84)
・光秀はもしかしたら、いつか家なんてなくなってしまうものだと思っていたのかもしれない、だから御家の存続なんかよりも、家来たちに明智を名乗らせて、血縁に限らず明智を増やし、明智一族を総体として残したかったのかもしれない(p115)
・麒麟というのは中国に伝わる想像上の動物で、世の中が平和に治った時に、それを祝福して天帝がこの世に送り出す。光秀が主役でこのタイトルということは、信長は麒麟ではなく光秀こそが麒麟であると主張している(p160)
・光秀が「三日天下」になった誤算と言うのは、やはり秀吉の中国大返しという予想がに早い奇人と、味方についてくれると思っていたはずの細川藤孝の裏切りだった(p186)