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summary

天変地異が変えた人類史 (KAWADE夢文庫)

天変地異が変えた人類史 (KAWADE夢文庫)の写真

・インドネシアのスマトラ島北部にある「トバ火山」が最後に噴火したのは、約7.5万年前(84万年前、50万年前に続く)で、マグマだけでなく火山灰の噴出も大量となった。巻き上げられた噴煙に含まれる大量の硫黄が待機中で酸化し、硫酸エアロゾルとして清掃権を長期間滞留することで太陽の光が遮られ寒冷化現象が発生、地球全体の平均気温が5度も下がった。火山噴火までホモサピエンスは地中上に数百万人生息したが、噴火後には1万人までに激減した。これは遺伝子学的にも証明されている、現在人類は78億人いるが、その割には遺伝子多様性が少なすぎる。これは過去に一旦個体数が激減して、遺伝子の多様性が失われたためである。遺伝子の解析によれば、現在の人類はすべて、1000-1万程度の少数の夫婦を祖先として進化したと推定される。ちょうどトバ火山が噴火した約7.5万年前であることが判明している、この頃に服を着るようになった(p12)

・トバ火山の噴火を、ホモサピエンスと共に生き延びたネアンデルタール人だが、約4万年前に衰退が始まり、2万数千年前に絶滅した。その原因も火山の噴火である。イラリア・ナポリ近郊で、過去20万年で最大規模とされる巨大噴火が起きた、ネアンデルタール人は殆どヨーロッパ大陸にいたので、この噴火被害を直接受けることになった。この時、ホモサピエンスの多くはアフリカやアジアにいたので、絶滅するほどの影響は逃れた。現代人類の核遺伝子には、ネアンデルタール人独特の遺伝子が、1−4%混じっていることも明らかになっている(p15)

・ナイル川の洪水の起こる時期を正確に知ることができた古代エジプト人は、シリウスが出現する日を「元日」とし、現在の7月を1月とした。その上で「シリウス・ナイル暦」では1年を、1−4月のアケト(洪水期)5−8月をペレト(播種期)、9−12月をシェムウ(収穫期)の3季に分けた。洪水の引いた5月(現在の10月)になると種を蒔いた。紀元前46年に、ローマのカエサルは、エジプトを制服すると「シリウス・ナイル暦」を改良させた暦を広大ローマに導入した、これをユリウス暦といい太陽暦の始まりとなる。このユリウス暦を1582年にローマ教皇・グレゴリオ13世が改良したのが、現在私たちが使っているグレゴリオ暦である(p21)

・最終氷河期が終わったことによる海水面の上昇は、黒海に洪水を起こしただけでなく、世界中に水害を起こしたという説がある。氷期の終了後に地球全体で快水準が100メートル以上も上昇しており、これにより当時の沖積平野の大部分が海面下に水没、これが現在の大陸棚となっている。世界各地に大洪水神話が残っているのも頷ける(p29)

・ギリシアにある、サントリーニ島の噴火(紀元前1628年頃)は遠く離れた中国の夏王朝を滅ぼす遠因となったと言われている。噴火により巻き上げられた噴煙により太陽光が遮られて北半球全体の気温が低下した時期と重なっている、この噴火によりクレタ文明と、夏王朝という二つの古代文明を滅ぼしてしまったのかもしれない(p41)

・ローマ帝国の都市ポンペイを消滅させたのは、79年のヴェスヴィオ火山の舟であろう、大量の火砕流が発生し、時速100キロの速度で麓にあったポンペイ市に襲い掛かり、数千人の住人は一瞬で全員が生き埋めとなり、都市は火山灰に埋まった、発掘されたのは18世紀に入ってから(p43)

・欧州文明の中心だったローマ帝国が395年に東西に分裂、476年に西ローア帝国は滅亡し、これが中世暗黒時代の始まりと言われる。その中世が終わったのが14−15世紀のルネサンスによるのが一般的である。このような暗黒時代の到来を決定づけたのは、6世紀の異常気象と言われ、それを起こしたのは巨大な火山噴火(インドネシア・ジャワ島とスマトラ島の間にある、クラカタウ火山が535年頃に大噴火)であった(p48、53)

・ペストはエジプト、パレスティナ、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルに上陸し、542年の大流行となった。これから100年間でコンスタンティノープルの人口は40万人から、10万人に激減した、また地中海世界の人口も4分の1に減ったと言われる。これにより、ユスティニアス1世のローマ帝国債権の夢は頓挫した(p53)

・ペストによって徹底的に痛めつけられている最中のロンドンで、さらに追い打ちをかけるような悲劇が1666年9月2日に発生した、パン屋のかまどからの出火がロンドン市内全域に広がって、4日間燃え続け、市内の家屋の85%を焼失した「ロンドン大火」ところが、この直後、どういうわけか急速にロンドンのペスト流行が沈静化した。ロンドン市街を復興する際に、木造建築は禁止され、レンガか石造りの建築が義務付けられ、ペスト菌の宿主であるネズミの生息場所が無くなったためとも言われる、あるいは火災によってペスト菌が死滅したとも(p68)

・リスボン大地震(1755年11月1日、諸聖人の日というキリスト教の祭日)は、ポルトガルの歴史のみならず、欧州の思想界にも大きな影響を与えた。この理不尽な天災であるリスボン大地震を契機に、キリスト教神学や教会の権威から離れ、世界を合理的、科学的に見ようとする啓蒙思想が発展した、この震災は近代の扉を開いたと言われている(p74)

・アイスランド南部にあるラキ火山は1783年から断続的に地震が続いていて、大噴火は6月8日であった。この噴火による噴煙によって太陽が遮られ、噴火後3−4年間は北半球の夏の気温が1.3度も下がってしまった。(p77)フランス革命が勃発したのは1789年7月14日であるが、この日はフランスにおいてパンの価格が最も高くなっていた日であった(p81)

・スペイン風邪の流行したのは第一次世界大戦中であるが、高い死亡率と通常のインフルエンザと異なるのは、犠牲者の年齢が若年成人の死亡率が高かったことにある。半分が20−40歳であり、日本も同様であった(p100)

・天孫降臨の地をされる宮崎県の高千穂峰も、西部には活火山がある霧島山の御鉢があり、霧島連峰では過去何度も噴火が繰り返されてきた。そして神武天皇はこの高千穂から本州に進出して初代天皇になったとされ、記紀神話ではこれが日本を治めるための覇業の第一歩とされる。これは、頻発する九州の火山から逃れるため安全な地を求めての民族移動を反映したものとも考えられる(p114)

・遣唐使により大陸からもたらされたのは文化、技術だけでなく恐ろしい伝染病も持ち込まれた、736年阿倍継麻呂の使節団が天然痘に感染し、継麻呂は津島で病死する。そして残された使節団が平城京に帰還したことで、都に天然痘ウイルスが持ち込まれて全国的な大流行となる。当時の日本の総人口の約3割に当たる100万人以上が死亡したと観測されている、これが「長谷王の怨霊の仕業」と噂された(p118)

・元号改元は、吉事による祥瑞改元と、災厄を払うための災異改元があるが、平安時代末期から、災異改元が増えており、それだけ災害が多かったことがわかる。(p138)