・ガス灯が発明され 街を明るく照らし始めると、夜はロマンチックな時間帯に変わった。セレナーデという言葉は、昨夜に恋人が住む部屋の下で愛を奏でる音楽のことである。夜は得体の知れないものに怯えるのではなく、愛を伝える時間になった(p5)
・ガス灯が最初に登場したのは1800年代初頭のロンドン、意外に思われるが、それまでの人々は数千年にわたって、松明・ろうそく・オイルランプと共に夜を過ごしてきた。ガストの普及を後押ししたのは 当店 イギリスで起きた産業革命であった 。生産性を高めるには、夜間も機械を稼働させる必要があり、 より明るい人工照明が求められるようになった(p13)
・ゴッホは10年 の画業で約2000点の作品を残すが、生前に売れたのはわずかに1枚だけ。 大日本帝国憲法が施行された1890年7月29日に37歳の生涯を自ら 閉じた(p21)
・ 32歳の時にパリに出ると、当時最先端の印象派 や 新印象派の作品を研究した。キャンバスは劇的に 明るくなり点描 も試みた。 多くの浮世絵にも触れ 大胆な構図と色彩も取り入れた。34歳で南仏 アルル へ移ると、ひまわり・ アルルの跳ね橋・ 夜のカフェテラスなど 傑作を 次々 生み出した(p30)
・ダヴィンチ・ブリューゲル・フェルメール・レンブラント といった教科書にも登場する有名な画家は「描きたいものを自由に 描く」ことはできなかった、 彼らはまず、 宮廷・貴族・教会・少数の裕福な上流市民 といった人々からの注文がなければ 筆を取ることはなく、どれだけ自信作 であっても「頼んだものと違う」と言われてしまえばそれまでであった(p32) 近代の画家たちはパトロンの注文から解放され 、自らの感性・ 思想に基づいて 捜索活動を行うことが可能になった。その代償として、経済的な不安定・貧しさを覚悟しなければならず、さらには 自分の作品が理解されない中で、それでも書き続けるという 孤独と向き合うことになった。その典型的な存在の一人が ゴッホ である(p33)
・ 当時 画家として成功するには、 フランス王立美術アカデミーが主催する「官展」 というコンクールに 入選することが必須条件であった。アカデミーが創設する「ローマ賞」を受賞すれば 国費でローマに留学できる、帰国後には絵を買ってくれる パトロン もついた。一見理想的に見えるが、極めて 権威主義的であるという欠点もあった 当店 色の塗り方 から 構図に至るまで 、伝統的な絵画の作法が山のように存在し 自由な表現は難しかった 。中でも注目すべきは 「歴史画」つまり 神話や 聖書を題材とした絵を 最上位とし、 風景画・静物画、日常を描いた作品は「低俗」として扱われた(p35)
・ゴッホは、浮世絵の 鮮やかな色彩、 遠近法にとらわれない自由な構図、色彩を面として捉える、 固有色からの解放 、遠近法にとらわれない構図、大胆な トリミング等に影響を受けた(p47)
・ゴッホの偉業の一つは肖像画の背景を、 黒から解き放ったことかもしれない。もともと 肖像画は、背景を黒く塗り、その人物の地位や職業を示す 装飾品や小道具を添えるのが一般的であった(p78)