・1945年4月最初の会議で上がった原爆投下候補地は、 東京湾・ 川崎・ 横浜・ 名古屋・大阪・ 神戸・ 京都・ 広島・ 呉・ 八幡・ 小倉・ 下関・ 山口・ 熊本・ 福岡・ 長崎・佐世保、であり 何度かの会議を経て3、4箇所に絞られた。その中に京都があった、京都が B 29と焼夷弾による大規模な空襲を免れた理由は、 文化財を守るためではない 原爆の効果を見る 見極めるには無傷の京都が望ましいということであった(p13)
・トルーマン大統領が 京都 リストから除外することを確認した後に、 長崎が再浮上した。 広島・ 小倉・ 長崎・ 新潟の4 都市が記された10日 命令書は7月25日付で出された(p14)
・ 1905年には 第16師団が編成され 伏見 に 兵営が誕生した、 師団とは、 歩兵・ 騎兵・ 砲兵・工兵・ 輜重兵のすべての兵士が集まったもので、 要するに 戦争ができる部隊 単位をいう(p28)
・明治初期の神仏分離令と上知令によって、 南禅寺 や清水寺は所有地を 明治政府に召し上げられている、 廃仏毀釈の流れから祇園感神院は、 いち早く 寺から八坂神社に変身させられた、 このようなことが GHQ によって 今度は神社界きるかもしれないという恐れがあった(p39)
・平安神宮を平安時代から続く 神社だと勘違いする人は少なくない、 しかし 実は極めて 歴史が浅く 明治維新の後(1895=明治28)に作られている、 その新しさこそが 米軍との親和性を高めた、 境内も外のとにかく 広いことも アメリカ人に受けた(p41)
・明治維新で天皇陛下が東京に遷られると、長らく栄えた都から ごっそり 人が消えた、 平城京を失って 奈良 が廃れたように 京都もその二の舞になるのではないか、 焦った 京都が考えた町おこし の一つが平安神宮の造営であった(p42)
・神社 や神道のお取り潰しはなかったものの 1945年12月15日 から神道指令がだされる、国家神道は 廃止するが、市民の祈りの場としての氏神は問題ない、 全国の神社も残すが政教分離を貫かねばならない。 言い換えれば神社は国からの援助が断たれ自ら稼いで運営しなくてはならなくなった、 そこで誕生したのが 結婚式場であった(p46)
・上賀茂神社はすでに 聖域として認定されていた、占領軍兵士でもむやみに入れない 聖域は、他には、伊勢神宮、 京都では石清水八幡宮、 下鴨神社、 ほとんどの 天皇陵 である(p90)
・近衛家は五摂家の筆頭として代々朝廷で重要な役割を担ってきた、 近衛は元総理であるとともに30代当主でもある、 どうすれば天皇家を存続し得るか脳裏にあったのは、降伏した場合 連合国が天皇の責任を追及してくるかもしれないということであった、なので 万が一の場合は歴史の先例に従って、天皇陛下を「仁和寺 」にお迎えし、落飾をお願いする、出家すれば連合軍の追求を 免れると考えた(p108)
・室町末期 吉田兼俱(かねとも)が 創始した 吉田神道は、江戸時代には徳川家の庇護を受け、全国神社の神職の任命権を持つ家元のようなシステムを作り上げた、ところが 明治維新で伊勢神宮を中心とする国家神道が 確立されると その権威は削がれていった(p117)
・京大に原爆開発を依頼したのは 海軍で、陸軍はすでに東京の理化学研究所の 仁科博士に委託していた。秘密裏に要請された京大の それは、 F 研究、 理化学研究所は、二号研究と呼ばれた。 研究の依頼先も京大出身の荒勝の研究室と、 東大卒の仁科の研究室に分かれていた(p119)
・サイクロトロンとは 物理学の基礎研究に使われる 円形加速器のことである、 京大にあったものは 核分裂を起こさせたり 放射性同位体を作ったりできる 当時の 核物理学では最先端の装置であった。 理研には大小 2台あり京大でも建設中だったのである、 F 研究では ウラン 濃色に使われる計画だったが 装置は完成せず実際には使われなかった(p119)
・壊された サイクロトロン、 理研のものは東京湾の横浜沖、 阪大のものは大阪湾に落とされたとされる一方、 京大のものだけはどこに沈められたか 現在でも不明である (p120)
・当時の朝鮮半島は日本領だった、 朝鮮北部ハムフンの 興南(フンナム)にはアジア最大の 軍需工場があり、 原爆製造に不可欠な世界最大級の水力発電所が日本企業によって作られていた、資源も恵まれていた、金・銀・ 銅・鉄・ 鉛・ タングステン・ 石炭・ マグネシウム・ 黒鉛・ 雲母・イットリウム・ ウラン などが豊富に産出されどんな爆弾も作ることができた (p124)
・ソ連は1945年8月8日に日本に対して 宣戦布告、 8月12日にあったとされる 核爆発の数時間後 ソ連は朝鮮半島北部の興南を占領し 核 インフラを奪う、 日本の核技術者を連れ去り そのわずか4年後に核実験に成功した(p125)
・ 1944年11月から45年の4月までに、 福島・ 茨城・ 千葉の3カ所からアメリカに向けて 風船爆弾が放たれた、 北アメリカ大陸まで届いたのは356発、 合衆国 が212、 カナダ 103、 アラスカ 38、 メキシコ 3、太平洋上に5発だった(p140)
・太宰府に流された 菅原道真 を天神として祀るのが、 全国 1万2000にある天神さんの総本社「北野天満宮」である(p144)
・昭和20年9月24日、 軍人が持たない美術品としての刀剣は、所持 OK と GHQ が認めた、日本の刀剣が美術品となった瞬間である、神社仏閣の宝物、 国宝はもちろん先祖伝来の刀剣も含まれた(p151)
・原爆投下地から京都を外すのは 、トルーマン大統領も同意していただろう、 当時日本はソ連を通じて和平工作に動いていた、 その距離感 からすればアメリカが京都を破壊すれば、戦後の日本は反米国家となり ソ連に接近し、 アメリカが戦後に主導権を握ることは困難になると考えたかもしれない(p189)
・最近になってアメリカ 有識者から別の見方が説かれるようになった、京都 温存するのではなく 宿敵 バチカンの拠点である長崎を攻撃するのが 狙いであった、 実際 軍事施設の三菱造船所ではなく、 浦上天主堂が破壊されている(p195)
・占領期に 日本に送られた米兵たちの大半は高学歴の若者であった、 彼らの多くは日本の文化に魅せられ 日本という国に恋をした、と筆者は聞いている(p202)
・日本への原爆投下は許しがたいが、 マッカーサーと スティムソンによって国体が維持され京都が残った、私たち一般国民が知り得ない日本の奥義をある時 知ったのだろう、 1000年以上も 宮古であり続けた 京都では、 祭礼や人々の祈りの蓄積が戦後 アメリカ的価値の植え込みをはねのけたとさえ 筆者は感じている(p203)